東洋軒前で祖母と 七五三
私は幼いころから商売をしたいとやんわり思っていました。初めてのことに挑んでいく姿勢や人と関わることの大切さ、商売の楽しさや大変さを最初に教えてくれたのは私の祖父と祖母だと思います。天皇の料理番を務めた秋山徳蔵氏も料理長を務めた西洋料理の店「東洋軒」が明治30年ごろ東京三田四国町にありました。私の祖父、猪俣重勝はこの東京の東洋軒の料理人でした。
東の魯山人、西の半泥子と称された川喜田半泥子さんによばれ三重県初の西洋料理店「津市東洋軒」の初代となりました。昭和3年のことです。
三重県初の西洋料理店をすること、半泥子さんに黒いカレーが出来ないかと提案され苦労の末、黒いカレーを作り上げたことなど、初めてのことに挑み、成し遂げていく姿勢は私に諦めない強さを教えてくれました。
あこがれの祖父
私は若いころちょうど20代~30代頃はよくホールを手伝っておりました。当時ホールは祖母が仕切っていました。祖母にはお客様への気遣いを教わりました。
「佳代ちゃん、あのお客様に新聞を持っていきなさい」「あの方にはお茶をお出しして」とか「あの方には漬物を」など今では許されないようなサービスですが、一人ひとりの好みや、その時に求めているものを瞬時に察しお持ちする。今思えばすごいホスピタリティであったと思います。
さりげなくお出しするとそのお客様は大変喜ばれ、また通ってくださる。何世代にも引き継がれ東洋軒をごひいきにしてくださるのは、祖母のおもてなしの心が大きいということを私は側で学ばせてもらえました。また「何と楽しい世界なんや」とお客様を喜ばせる喜びをそこで知ってしまいました。
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